株式会社PLEIN(プラン)代表取締役の中尾太一氏(冒頭写真)は近年にわかに数多くのメディアから注目を集めている若手経営者である。それは「料理がおいしい」「店が繁盛している」という部分がきっかけとなっているが、最終的には「飲食店を憧れの仕事にする」というミッションにたどり着くことになる。この具体的な試みは追って紹介するが、それを象徴するのは2017年に25歳で独立し、レストランを構えたその最初から「週休二日制」に取り組んだことである。
中尾氏は1992年1月生まれ、神奈川出身。両親とも経営者の家庭で育ち、中学生の頃からドラッカーをはじめとした経営の学術書やビジネス小説に親しみ、ノートに印象に残ったことを記していったという。今回の取材で会話の内容がとてもロジカルで分かりやすいことに感動したが、それはこのような体験の積み重ねによるものなのだろう。
経営者としての才は、高校時代にマクドナルドでアルバイトをした時に芽生えたようだ。店の中でチームを作り上げていくことがとても楽しいと感じながら、就労3カ月で店長代理に就いた。そして「将来、マクドナルドのような会社をつくりたい」と考えるようになった。7年後の25歳で独立するという目標を立てて、そのロードマップを独自に作成し、毎年更新していったという。
両親に将来のことを相談したところ、「これからのフードビジネスは専門性と再現性があり、スペシャリストとゼネラリストの両方を兼ね備えているところが市場価値としての評価が高い」と言われたという。そこで、調理師専門学校に進んだ。
専門学校時代のアルバイトは、マクドナルドの他にユニクロが加わり、星付きのレストランの皿洗いも行った。このレストランのシェフに将来について相談したところ「フランス料理を身に付けるとつぶしが利く」とアドバイスされた。そこで専門学校での二年次はフランス料理を専攻した。
専門学校を卒業後、星野リゾートに入社。軽井沢のホテル勤務の後、本部のグループ統括で勤務した。その後、「スープストックトーキョー」のスマイルズに入社。メインの業態とは異なるフルサービスレストランの立ち上げから、商品開発、採用などさまざまな分野を担当した。
いざ独立、起業に踏み出そうとしているころに、専門学校時代の同級生たちの中で「飲食の仕事はブラックだ」と語り、この世界から離れたいという人が現れてきた。飲食の世界ではない人物から、「君の今のモチベーションがあれば、飲食業ではなく他のビジネスだと倍稼ぐことができる」と言われた。中尾氏は、このような一般的な飲食業に対する「負」の捉え方を認めて、このように決意した。
「自分は、単に飲食店を出すのではなく、同じ志を持ってポジティブに働きたいと思っている人たちの居場所をつくろう」
現在プランでは、表参道、麻布、代々木上原、恵比寿、麻布十番と5店舗展開しているが、起業の当初から、これらの立地で営業することを想定していた。筆者が「家賃が高い場所ですね」と質問するとこう答えた。
「そもそもクーポンとかプロモーションでお客様を集めるのは大手の仕事です。自分は、料理だけではなく、会社がどのようになっていきたいかという理念に共感してくれて、ある程度単価が高くても良い料理に対価を支払ってくれるお客様がいる街で商売をしないと、大手に勝ち目はないと考えていました」
サラリーマン当時にスマイルズを経験していることから、「これからチェーンレストランを展開することも考えられるのでは」と尋ねたところ、このように答えた。
「当社では、20席程度の個人店のような店の集合体をつくっていきたい。ここで技術研鑽を行いながら、週休二日制で働くことができて、かつキャリアパスを描くことができる会社をつくりたい」
創業の店の表参道では自分が店主となって始めた。銀行からお金を引っ張ってきて、居抜きの物件を借りて、店を繁盛店にするということをゼロから行った。最初の3カ月は顧客が少なく、自分で料理の味を保ちながら、スタッフのマネジメントや集客も行った。このような厳しい現実に直面し、へこたれそうになった。しかしながら、半年後にはメディアの取材がぽつぽつと入り繁盛するようになった。これ以来「個人店の集合体をつくりながら、店のさまざまな業務を本部機能によってスケールメリットを持って行えば、個人店らしさを残しながら組織になるのではないか」と考えるようになった。
起業して2年目に、前職の同僚である金子裕樹氏を総料理長として招聘した。中尾氏はオーナーシェフではなくオーナーとなり、会社の仕組み化を行うようになった。約1年間でさまざまなことを試して出店できる体制をつくった。コロナ禍にありながら、4号店の恵比寿は2021年3月、5号店の麻布十番は4月にオープンしている。
このコロナ禍で、プランの事業は大きく前進した。
同社の動きはいち早く、2020年4月の緊急事態宣言が発出される前、コロナ禍が話題に上り出した2月の段階でOEM(委託者ブランド名製造)によるオンラインショップに取り組んだ。肉の取引業者から長野の工場を紹介していただき、サプライチェーンも構築した。
商品はパティやソーセージで個包装のものを冷凍にしたもの。これを5000円、7000円といった詰め合わせにした。緊急事態宣言発出後すぐにこれらをリリースしたところ、初月で300万円を売り上げた。
「なぜ自社でつくらないで 、OEMにしたのか」と尋ねたところ、このように答えた。
「自社でEC商品をつくることのデメリットは、衛生面でのリスクがあり、過重労働を招くこと。こうして自社でつくったものが全国で販売されるということは現実的ではないと考えるようになりました。そこで、利益率が下がってもOEMによって数を売るという戦略を取りました」
ECではキッシュも開発した。きっかけは、緊急事態宣言の発出後に店を休業することを判断した時に「生産者が困るのでは」と考え、提携している農家から野菜を2t購入したこと。この野菜をどうするかは「後で考えることにした」という。
まず、「農園直送野菜の幸せのキッシュ」という名称で1ホールの2000円の商品をつくった。これをSNSで発信したところ、2週間で1500ホールが売れた。このようなECの取組みによって、2020年の4月、5月店は休業していたものの黒字になった。
キッシュの取り組みは医療従事者支援にも結び付いた。きっかけはプランの常連客である大学病院の副院長から「医療差別を受けていることに悩んでいる」と聞いたこと。そこで、まとまった量のキッシュをプレゼントした。
その後、院長や患者たちからプランに感謝の手紙が届いた。みな「久しぶりにおいしいものを食べて涙が流れてきた」という。この時、中尾氏は「これは料理人やレストランがやるべき仕事だ」とひらめいたという。
そこで「キッシュをシェアするプロジェクト」という座組(ざぐみ)を考えた。ここでは「スピード感」を第一にした。
これは、顧客にキッシュを2ホール買ってもらい、1ホールは支援した人(顧客)に送る。別の1ホールは大学病院に送る。大学病院への送料はプランで持つ。本来キッシュは1ホール2000円だが、これを1700円にして、2ホール3400円で販売する――という内容だ。
この仕組みによって、医療従事者支援に際してプランに持ち出しは発生しない。社会貢献マーケティングを活用した秀逸な事例である。テレビでのバラエティ番組でも取り上げられるようになり、プランのオンラインショップに大きな効果をもたらした。
「これまで飲食店は客数×客単価でしたが、これから脱却できるようになりました。かつてはメディアに取り上げられると席が一時的に満席になったものでしたが、今ではオンラインショップが動き、レストランも動く。新型コロナの情報が加熱すると、レストランは静かになるが、オンラインが活発化する。新型コロナが落ち着くと、オンラインは下がって、レストランがにぎわってくる。このようなバランスがとれて定着するようになった」
そして中尾氏は「規模を大きくするのではなく、価値を大きくしたい」と語る。「飲食店を憧れの仕事にする」というミッションは、より深く浸透し、同社の事業に活かされているようだ。
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