飲食店の経営において、最も大切な資源は「人材」です。おいしい料理や立地の良さだけでは店は成り立ちません。従業員が安心して働ける環境があってこそ、安定したサービスが提供され、顧客の信頼につながります。
しかし、飲食店業界では「賃金未払い」や「労働時間の管理不足」が原因でトラブルに発展するケースが後を絶ちません。これらは単なる経営上の問題ではなく、「最低賃金法」や「労働基準法」に違反する重大な法律問題でもあります。
賃金未払いは単なるお金の問題にとどまらず、法律違反・経営リスク・信用失墜という三重のリスクを招きます。場合によっては労働基準監督署からの是正勧告や書類送検、さらにはSNSで炎上して顧客離れを引き起こすことさえあります。
本記事では、飲食店経営者が知っておくべき賃金未払いの法律リスクについて、最低賃金法・労働基準法の基本と実際の事例を交えながら解説します。
飲食店経営における賃金未払いは「ちょっと遅れただけ」「一時的な資金繰りの問題」と軽視されがちです。
しかし実際には、法律違反・経営悪化・信用失墜という三重のリスクを同時に背負うことになります。
ここでは、その具体的な危険性をわかりやすく解説します。
賃金未払いは「最低賃金法」や「労働基準法」に直接違反します。
労基署から是正勧告を受けるだけでなく、悪質な場合には書類送検されることも。
送検事例は厚労省のHPで公表され、店名がニュースに出れば地域の信用は一瞬で崩れます。
「小さな飲食店だから大丈夫」という油断は通用しません。
未払いが明るみに出れば、数か月分の給与をまとめて支払う必要があります。
たとえばアルバイト10人に1か月分の給与を滞納すれば、それだけで数百万円の出費に。
さらに未払い分には「遅延利息」や「付加金(割増しの罰則金)」が課されるケースもあり、最終的に数千万円単位に膨らむこともあります。
資金繰りに余裕のない飲食店では、そのまま廃業へ追い込まれるリスクが高いのです。
労働環境への不満は、今やSNSで簡単に拡散される時代。
「給料が払われない」「残業代が出ない」と投稿されれば、炎上は避けられません。
その影響は売上だけでなく採用活動にも直撃し、求人を出しても応募が来ない状態に陥ります。
一度「ブラック飲食店」のレッテルを貼られると、地域での信用を取り戻すのは非常に困難です。
👉 こうしたリスクを踏まえると、賃金未払いは「一時的な問題」ではなく、飲食店の存続を左右する致命的な経営課題だと言えます。
飲食店を経営する上で、売上や集客と同じくらい重要なのが「労務管理の法律知識」です。
特に賃金に関するルールは、従業員の生活を支える根幹であり、違反すれば即座に刑事責任や社会的信用の失墜につながります。
最低賃金法や労働基準法は「大企業向け」ではなく、個人経営の小さな飲食店にも等しく適用されるものです。
ここでは、経営者が最低限理解しておくべき基本条文を整理して解説します。
最低賃金法第4条では、使用者は労働者に対し、地域ごとに定められた最低賃金以上の賃金を支払わなければならないと規定されています。
最低賃金は都道府県ごとに毎年見直されており、東京都なら1,226円、大阪なら1,177円など、地域差があります。
違反すれば「知らなかった」では済まされず、刑事罰(50万円以下の罰金)の対象です。
特にアルバイトやパートを多く抱える飲食店では、賃金設定を誤ると一斉に違反となるリスクがあるため、必ず最新の金額を確認しておく必要があります。
労働基準法第24条では、賃金は 通貨で・直接・全額 を支払うことが義務付けられています。つまり「働いた分は1円も欠けずに支払う」という考え方が基本です。
飲食店の現場では、このルールが知らないうちに破られてしまうケースが少なくありません。以下のような事例が典型です。
「閉店後の片付けはシフトに含まれていないから残業代は出せない」といったケースは典型的な違法です。実際には労働時間にあたるため、必ず残業代を支払う必要があります。
「5分未満は切り捨て」「15分単位で計算する」などの方法は違法と判断されやすいです。大手チェーンで実際に端数切り捨てが問題となり、労基署から是正勧告を受けた事例もあります。飲食店に限らず、小規模店舗でも同様の違法性が問われます。
「チップをもらったからその分を時給から差し引く」といった扱いも禁止されています。チップはあくまで顧客からの好意であり、賃金とは切り離して扱わなければなりません。
「まかないを食べたから給料から差し引く」「お皿を割ったから給料から引く」といったやり方も、法律上は問題となる可能性が高いです。こうした控除を行うには、労働基準法第24条に基づく労使協定(いわゆる『賃金控除協定』)を結んでおく必要があります。勝手に差し引くことは違法です。
➡飲食店は忙しい現場ゆえに、労働時間管理やまかない制度の運用が曖昧になりやすく、結果的に違法な「未払い賃金」を生むことが多い業界です。経営者は「慣習だから」「小さい金額だから」と軽く考えず、必ず法律に沿った管理体制を整えることが求められます。
賃金未払いが発覚すると、まず労働基準監督署から是正勧告が出されます。
勧告に従って速やかに支払えば刑事事件には発展しない場合もありますが、無視・放置すれば書類送検され、最終的に刑事罰を受ける可能性があります。
実際に中小規模の飲食店でも送検事例は多数存在し、ニュースや厚労省のサイトで公表されることもあります。
店名が報道されれば「ブラック飲食店」として地域での信用を失い、採用・集客の両面で大きな打撃を受けます。
👉 こうした法律は「従業員を守るためのルール」であると同時に、「経営者を守るルール」でもあります。きちんと理解して実務に落とし込むことが、結果的に店を長く続けるための最良の方法といえるでしょう。
飲食店における賃金未払いは「自分の店には関係ない」と思っていても、全国各地で実際に発生しています。しかも、発覚すれば 小さな個人店から大手チェーンまで例外なく法的措置や是正勧告を受ける ことになります。ここでは実際に報道された事例を取り上げ、飲食店経営者が学ぶべき教訓を解説します。
奈良労働基準監督署は、奈良県大和郡山市の飲食店を経営する会社と男性社長を最低賃金法違反の疑いで奈良地検に書類送検しました。
この会社は従業員5人に対して2022年9月から11月までの賃金を支払わず、総額約113万円の未払いがあったとされています。さらに、他の従業員にも未払いがあり、総額は500万円以上にのぼるとされました。
➡ 教訓:未払いは少人数でも刑事事件化する。資金繰りを理由に賃金を後回しにするのは危険です。
山口県宇部市の某飲食店の代表者は、2人の労働者に対して令和5年の8カ月間にわたり賃金を支払わなかったとして、最低賃金法違反の疑いで書類送検されました。未払いの合計額は約62万円にのぼります。
➡ 教訓:小規模店舗でも「少額・少人数」だから大丈夫、は通用しない。 労基署は違反を見逃さず、法的措置を取ります。
大手回転寿司チェーンの運営会社は、アルバイトの男子学生(20)の労働時間を**「5分未満切り捨て」で計算**していたため、未払い賃金が発生していました。労基署は是正勧告を出し、同社は対応を迫られました。
同様のケースは大手外食チェーン「すかいらーく」でも発覚し、全国のアルバイト約9万人に総額16億〜17億円を支払うことになりました。
➡ 教訓:大企業でも労務管理の不備で巨額の未払いが発生する。中小飲食店も「1分単位」での労働時間管理が必須。
飲食店は忙しさから労務管理が疎かになりがちですが、賃金未払いが発覚すれば行政指導や刑事罰につながります。経営を守るために、日常的な防止策の仕組みづくりが欠かせません。
労働時間の把握は賃金計算の基礎となるため、まずは「記録の正確さ」を徹底することが重要です。
紙の出勤簿や口頭での申告だけに頼るのではなく、タイムカードや打刻システムを導入し、勤務時間を客観的に残しましょう。
特に飲食店では、開店準備や片付けなど「勤務時間に含まれていない作業」が発生しがちです。これらをきちんと労働時間として扱うことで、サービス残業の温床を防ぐことができます。
シフト表を紙や口頭で回すのではなく、アプリやクラウドサービスを活用すれば、勤務時間と実際の打刻を突き合わせることができます。デジタル化することで「この時間は働いたのか」というあいまいさがなくなり、トラブルを事前に回避可能です。また、従業員側も自分のシフトをスマホから確認できるため、労使双方にとってメリットがあります。
「1日の労働時間を計算するときに5分単位で切り捨てる」という古い慣習は、法律上は認められません。
たとえ数分でも、働いた時間はすべて労働時間に含まれるべきです。
飲食店の現場では「ちょっとだけ早く来て準備」「最後の片付けを少し延長」といったケースが頻発します。これらを軽視すると、従業員の不満が募り、最終的には労働基準監督署への申告につながるリスクがあります。
労働時間を正確に把握できたとしても、賃金計算が不透明では意味がありません。
勤怠記録を従業員にも確認できる仕組みを整え、残業代や深夜手当が正しく計算されていることを明確にしましょう。給与明細には「基本給」「各種手当」「残業代」の内訳をきちんと記載し、差し引きが不自然にならないよう注意することが大切です。
透明性を高めることで、従業員の納得感が増し、不必要なトラブルを防止できます。
制度を整えても、従業員が知らなければ実効性はありません。
新しく雇用する際には必ず労働条件通知書を交付し、時給・残業代・深夜手当のルールを明示することが必要です。
さらに、アルバイト・パート従業員も含めて「労働時間や残業代は法律で守られている」という認識を共有しておくことが重要です。これにより、不満や誤解を未然に防ぎ、安心して働ける環境を整えることができます。
労務管理は専門性が高く、法改正も頻繁に行われます。
そのため、社会保険労務士などの専門家に相談し、定期的に労務管理体制を監査してもらうことが効果的です。外部の目を入れることで「知らず知らずのうちに法律違反をしていた」という事態を防げます。
また、法改正への対応や労働トラブルの予防策について、最新の情報をアップデートできる点も大きなメリットです。
賃金未払いを放置すれば信頼失墜や法的リスクに直結します。重要なのは「早急な対応」と「再発防止の仕組みづくり」です。
未払いが判明した場合は、まず「すぐに全額支払う」ことが第一です。
資金繰りが厳しい場合でも、分割払いの相談が可能なケースもあるため、逃げずに従業員と話し合う姿勢が求められます。
また、口頭での謝罪だけでは不十分です。書面にて謝罪と再発防止策を提示することで、従業員に誠意を伝えることができます。
こうした姿勢は、労基署が調査に入った場合にも「改善の意思あり」と評価される可能性が高まり、事態の悪化を防ぐ効果があります。
もし従業員から申告があり、労働基準監督署から是正勧告を受けた場合は、必ず期限までに対応することが重要です。
是正勧告は行政指導の段階ですが、これを無視すれば刑事事件化するリスクが一気に高まります。
実際に、飲食業界でも「勧告を軽視した結果、書類送検に至った事例」が複数あります。経営者は「勧告=最後の猶予」と理解し、速やかな対応を進める必要があります。
どうしても一括で支払えない場合は、従業員に事情を説明し、分割払いの合意を得ることも選択肢のひとつです。
ただし、この際には「支払い計画」を必ず書面にまとめ、双方で署名することが望ましいです。あいまいな約束や口約束のままでは、後日「支払われなかった」と再度トラブルになる恐れがあります。
誠実さと透明性を持って協議することが、信頼回復の第一歩となります。
問題が解決した後は、同じ過ちを繰り返さない仕組みを整えることが不可欠です。
賃金計算システムを導入し、「人任せの管理」を排除することは特に効果的です。また、店長や管理職に対する労務管理の研修を定期的に行い、現場レベルで正しい知識を浸透させることも重要です。
再発防止への取り組みを従業員に示すことで、「この会社は改善していく」という安心感を与えることができ、人材定着にもつながります。
賃金未払いは「払わずに済ませる」よりも「発覚したときのリスク」のほうが圧倒的に大きい問題です。法律違反で処罰されるだけでなく、従業員の信頼を失い、経営全体に悪影響を与えます。
逆に言えば、労働時間を正しく管理し、適切に賃金を支払うことは、従業員の安心感や定着率を高め、長期的な経営の安定につながります。
飲食店にとって「賃金未払いリスクの排除」は、法律遵守のためだけでなく、信頼され、選ばれる店舗づくりのための投資でもあるのです。