2019/12/12
DDHDの事業会社社長に就任、創業者の世界を継承する決意
DDホールディングス(本社/東京都港区、代表/松村厚久)は1996年3月にその後「ダイヤモンドダイニング」となる前身の会社を設立、2001年6月に「ヴァンパイア・カフェ」をオープンして以来、既存の飲食業よりもアッパーなカジュアルレストランの領域を切り開いてきた。それぞれの店が放つ独特の付加価値は〝遊び“の要素をビジネスに引き込んだものだ。
そしてさまざまな個性的な飲食業の子会社化を進め、2017年9月にDDホールディングス(以下、DDHD)に商号変更、グループ会社には新時代の飲食業を切り拓くかつて同志として奮戦した企業が存在する。その象徴はゼットンである。同社の創業者稲本健一氏は、同社を退任してDDHDの取締役に就任している。さらに同様の商業藝術が2017年6月に完全子会社となった。
目次
広島で先端的なレストラン事業を展開する
商業藝術の創業者は、前代表取締役社長である貞廣一鑑氏。1995年5月に友人が代表を務める元希有限会社に参加し代表権を譲り受けた後、ア・ルーム・ウィズ・ア・ビュウに社名変更(その後変更)。広島の街で和食「茶茶」をはじめ店舗空間、フードメニューともに斬新なレストラン事業を展開していく。2000年5月「茶茶 白金台」で東京進出。現在、88店舗、東京圏エリアに43店舗(2019年11月末現在)の陣容となっている。
その同社では、今年5月に代表取締役社長貞廣一鑑氏が退任し、後任として吉田啓介氏が就任した。貞廣氏は会長となった。
吉田氏は1976年12月広島生まれ。インテリアやデザインの勉強をしながら飲食店でアルバイトをしていた20歳前後の当時より、エッジの効いたア・ルーム・ウィズ・ア・ビュウの店を利用する機会が多かった。当時広島の若者を引き付けた「茶茶」を見て「面白いことをやっている会社だなあ」と憧れを抱いていた。2000年12月広島市内に同社が「Café 44(キャラントキャトル)」というカフェをオープンすることを知り、アルバイトとして同店に入った。当時24歳であった。
この当時は東京でカフェブームが巻き起こっていた。インテリアの勉強をしてきた吉田氏にとって、東京でこのような世界を自らつくっていきたいと思いを募らせた。
2001年6月東京・中目黒に現在同社のブランドの一つとなっている「chano-ma」がオープンして、ヘルプとして2カ月ほど東京の同店で勤務する機会を得た。広島に戻り、社員となり、マネージャーへと昇進し、29歳で東京勤務となった。
「平等」の世界観でお客さまの時間を満たす
商業藝術のホームページを見ると、最初に「あなたを上映する。Make a Cinema Day―シネマのような日を創ろう。今日出会うだれかのために。自分のために―」とある。
そしてフィロソフィーとして、このようにまとめられている。
「私たちが一番大切にしたいことは『その人らしさ』です。一人ひとりが自分の持つ個性や強みを発揮しながら、弱みをみんなで補っていく。その結果が、会社の成長や個人の成長につながっていくことが理想です」
この世界観について吉田氏はこのように解説してくれた。
「貞廣がつくり上げてきた商業藝術の世界とは『平等』です。VIPとか、誰かを特別扱いする社会ではなく、スタッフもお客さまも平等なのです。これが当社の『Fair』という言葉に象徴されていて、お客さまのプライベートを邪魔することなく、お客さまの自由な時間を満たして差し上げるということです」
商業藝術が展開するレストラン事業は、若い女性やカップルが憩うカフェ、ママ友たちのコミュニティ、焼き鳥から人と人がつながる場やフードコートの丼専門店とさまざま。焼き鳥メインの店舗の中でも「バリ鳥」は男性客に訴求し、「あわよくばあー」は主に女性客と多様だ。これはどのような発想に基づくものか、吉田氏は「貞廣と一緒に仕事をしてきて理解を深めた」と前置きしてこう語る。
「僕らは『クロッシングビジネス』と呼んでいますが、事業の芯の部分に存在するのが『Fair』ということ。そのような関係性の中で人と人が出会い、食事や音楽を楽しむ。このような空間をつくっていくことがわれわれの仕事で、業態は衣の存在です。既存の業態をセグメンテーションして客層を発掘しているのです」
「そして、われわれの事業領域は『Re_Culture』。昔あった文化に今の時代の要素を取り入れて編集してわれわれの業態として育てていこうという考え方。こうして例えば焼き鳥メインも『バリ鳥』や『あわよくばあー』ができあがりました。これらの本質は、お客さまとスタッフの距離感が近いことです」
一部長が突然の「社長就任」で大切にしていること
吉田氏は社長に就任してから半年が経過した。就任する前は経営陣の中にいたのではなく一部長であった。貞廣氏から「社長をやってみるか?」と直接打診されたと言う。少し考えて「やらせていただきます」と回答した。吉田氏は、「貞廣氏は大きな決断をしたもの」と捉え、後任として委ねられた役割を全うする決意である。
吉田氏は、社長に就任して以来「社員と会う」ことを重要な役目としている。冒頭に掲げた通り、商業藝術のミッション、フィロソフィーは観念的である。これを「貞廣は意図して観念的な文言にした」と捉えて、自らの現場経験から具体的なものに落とし込むことによってより分かりやすく伝わることを心掛けている。社員は330人となっていて、現場に赴き1カ所で4人、1人30分間の時間をかけて行っている。
「働き方、人事制度をはじめ、いまあらためて会社の現状を考えるということを大切にして、
社員一人ひとりとときちんと向き合うことによって、自分の考え方が整理されてきています。こうして社内の制度や業態などもできあがっていくのではないでしょうか」
社員と向き合う上で、吉田氏は日本の飲食業の近未来をどのように取られているだろうか。吉田氏はこのように語る。
「日本の人口は減少する傾向にあり、また高齢化していくことで、これまで成長してきた飲食業とは別な局面に立たされています。これまで飲食業は3Kやらブラック企業と言われてきたものを乗り越えてきました。さらに豊かな業界にするためには、いたずらに拡大を考えるのではなく、効率を上げることを目指し、そのための仕組みをつくることが重要だと思います」
それは例えば、「産休している人が世間とつながりながら働くことができるワークシェアリングを取り入れたり。女性に活躍していただくために、女性が仕事から離れるという不安を取り除くことが重要です」と言う。
企業文化となっている「女性活躍推進」
このような商業藝術の中にあるフェミニズムの感覚は、同社を象徴するブランドの「chano-ma」を訪ねてみると理解できる。同店の主要客層は20代から30代の若い女性二人連れでマットレスの客席では靴を脱いで十分に解放感に浸っている。また、もう一つの主要客層のママ友が子供を目の前にしながら会話を楽しんでいる。このような女性にとって満足度の高い業態を擁して顧客動向をリサーチしているということは、企業の中に女性活躍推進の環境を育んでいることであろう。
余談であるが、同社では伝統的にランチタイムを女子社員、男子社員が一緒に楽しむ文化が存在する。そこで男女隔てのないコミュニケーションが行われて、その分、夕方に仕事を終えてから夜の街に繰り出すことはなく、女性は家に帰って家庭を大切にしている。このように女性の働き方を尊重した企業文化ができあがっている。
さて、吉田氏の直近の大きな役目は、2020年2月末に中期経営計画をしっかりとつくり社員の前で発表することだ。創業者貞廣一鑑氏がつくり上げてきた「Make a Cinema Day」が吉田氏によってどのような展望が語られることになるのか大いに期待される。