「地域密着主義」に徹し、「地元」にない文化を生み出す

京浜急行電鉄の梅屋敷駅は〝居酒屋の神様″と称される石井誠二氏が、創業した「つぼ八」を退任した後に「八百八町」で再起を図った場所である(1989年5月にオープン)。梅屋敷という街は住宅街であり、これから多店化していくためには商圏が薄くマイナーだと筆者は感じていた。石井氏に「なぜ梅屋敷にしたのか」ということを尋ねたら、「ライフスタイルの基盤を仕事や会社ではなく家庭に置く人たちが住んでいる場所だから」という。このような考え方を後に「地域密着主義」と言うようになった。

 

そのような話を同じくこのエリアで居酒屋を展開している梅林株式会社の専務取締役、吉鶴拓也氏に伝えたところ、吉鶴氏は石井氏がこの街で第二の創業を果たしていることを誇りとしていた。梅林は梅屋敷に基盤を置く不動産業を母体としており、2009年6月に飲食事業の1号店である大衆居酒屋「梅林」(28坪48席)を梅屋敷駅近くにオープンした。後、梅屋敷に2店舗、今年の7月隣駅の大森町に出店し計4店舗を展開している。

左より、吉鶴拓也氏、「はなれの梅林」店長の坂本真明氏、益成大介氏

 

3社からの内定を断り飲食事業に挑む

梅林と吉鶴氏には「地元」「地域密着主義」という言葉がバックボーンにあり、それが事業の方向性を確かなものにしている。

 

吉鶴氏は1989年1月生まれ梅屋敷という町に関わるようになったのは中学生の頃からである。現在梅林の代表を務める小林寛正氏と当時から交流があったことがきっかけである。小林氏は吉鶴氏の中学、高校の二年先輩で仲良くしていた。

 

大学生となった吉鶴氏はレインズインターナショナルの居酒屋でアルバイトをするようになった。そこで現在の居酒屋甲子園の原型とされる同社の「パートナーズフォーラム」を観たり、当時働いていた店舗が表彰されたこともあり、「このような熱い世界に進みたい」とおぼろげながら飲食業に憧れを抱いていたという。

 

大学の卒業を目前にしていた頃、梅林を立ち上げて「将来、飲食業を事業にする」という小林氏からその構想を聞き、自分もそれに参画したいと思っていた。しかしながら吉鶴氏は就職が決まっていたことから、大学を卒業するまでのアルバイトの気分で小林氏の店を手伝おうと考えていた。諄々とお互い夢を語り合う時間を持ったところ意気投合するようになり、3社から内定があったものを全て断って、飲食業を事業として梅林株式会社を立ち上げることを決めた。

2009年6月にオープンした創業の店「梅林」

 

中学高校とも同じ仲間6人が集まって、当時平均年齢21歳で営んでいた梅林は、焼き鳥と刺し身をメニューのメインにして、このほかは地元のお客さまから要望があったものを加えていった。「さっぱりしたものを食べたい」「秋になったので旬の魚を食べたい」「別の店でこんな料理を食べたんだけど、ここでも食べたい」という形である。

料理長として立石拓也氏が加わった現在では、「体に良いもの」を手づくりでメニュー開発をしていて、「お客さまから要望をいただいたもの」「料理長が発案する体に良いもの」「自分たちでベンチマークしてメニュー化しようと考えたもの」――この3つでメニューを組み立てている。

 

創業の店の後、2017年4月同じ梅屋敷に「本気の恩返し梅林本店」をオープンした。店名に「本気の恩返し」をつけたのは、「義理、人情、恩返し」ということを自社の理念として掲げていて、地元の人に恩返し、母父に恩返し、仲間に恩返しという姿勢を示したかったからという。

2017年4月にオープンした2号店「本気の恩返し梅林本店」

地域密着主義で常連客の偏食をただす

梅林本店のメニューは野菜焼きをメインとしていて、現在は大田区の姉妹都市となっている長野県東御市から野菜を取り入れている。梅林の従業員は1カ月ないし2カ月に1回のサイクルで、現地に栽培や収穫の手伝いに赴いている。

常連客にとって健康になれる食事を提供することは「ポイントカードに勝る顧客との結びつき」という発想

 

梅林に料理長が加わったことからメニューががらりと変わった。それは「偏食の改善」――お客さまに体に良い食事をしていただく、ということだ。そして、ソース、ドレッシングしかり、手づくりにこだわるようになった。吉鶴氏はこう語る。

「常連客の偏食を改善するということは地域密着の本質ではないか。このようなわれわれの姿勢がポイントカードに勝る顧客との接点の強さになっていくと考えています」

 

3号店は2018年7月、同じ梅屋敷に焼き肉店「ご縁」(14坪25席)をオープン。焼き肉店にしたのは、同じエリアにある焼き肉店はファミリー向けであったことから、「われわれは『街にないものをつくる』ということを信条としていて、上質のお肉をお酒ととともに楽しむということを提案したかったから」(吉鶴氏)という。三店の客単価は1号店3000円、2号店3500円。3号店4800円という「ちょっとした贅沢」に応える存在になった。

焼き肉店「ご縁」を出店することで梅屋敷の焼き肉店の選択肢が充実した

そして今年の7月、4号店として梅屋敷の隣駅大森町に「はなれの梅林」をオープンした。

大森町に出店した経緯は、梅林が不動産事業を行っているということが利点となった。梅屋敷エリアの常連客より「大森町に出店してほしい」という要請もあり、かねて着目していた物件が紹介された。「地域密着」の姿勢が物件を引き寄せたという感覚だ。1階14坪、2階12坪2フロアで38席。客単価は3200円となっている。

同店の店長坂本真明氏は地元の出身で、梅林の「街にないものをつくる」というコンセプトから、これまで大森町では希薄であった「魚を食べる」「地元で飲む」という文化を地元で育てたいという思いで営業に励んでいる。

率先して店の中に高揚感をつくり上げる

筆者は同店がオープンして間もない8月の平日に同店を訪ねた。夕方6時30分ころからカウンター席にいたところ、入口近くに立っている吉鶴氏はオープンキッチンの中にいる従業員に向かってカウントダウンを始めた。吉鶴氏が「10分前になりました」とはっきりとした大きな声をかけると、従業員の全員が「はい!」と答える。それが「5分前になりました」「3分前になりました」という声になっていき、「はい!」と答えるテンションが高くなっていく。

筆者は吉鶴氏に「なぜこのようなことをするのか」を訪ねた。すると吉鶴氏は「2階席で7時から予約が入っていて、それに向かって高揚していく空気感をつくっているのです」という。

 

この活気のある居酒屋の雰囲気づくりが功を奏し、オープン間もない中で好調に推移し、3人体制の営業で月商450万~600万円で推移しているという。定休日は木曜日としている。大森町は住宅街であるために営業のピークは土日祝日となる。日曜日に2階の座席では全卓が子ども連れとなる場面が多い。「地元で飲む」という慣習が表れてきていて、今後大森町で店舗展開をすることでさらに定着させたいという。

今年7月梅屋敷の隣駅大森町にオープンした「はなれの梅林」

 

「つぶれない会社、100年200年続く会社をつくる」ことを語る吉鶴氏であるが、それを支えるものは同社の二本柱である不動産事業と飲食事業が補完し合う形である。

ちなみに、梅林の飲食事業の全店舗は梅林の自社物件である。紹介があったものを購入する形で広げている。そして、飲食事業部は不動産事業部に家賃を支払っている。今後も自社物件で展開していく意向だ。

 

梅林の飲食事業部門は現在社員8人。平均年齢31歳。アルバイトとして店に入り、後に全員が社員になっている。

会議体は、全体ミーティングを月に1回アルバイトも含め全員が参加して開催、社員ミーティングを毎週回月曜日に開催、店舗ミーティングは店長主催で月に1回アルバイトも参加して行う。アルバイトが全体ミーティングと店舗ミーティングに参加することはアルバイト採用時の確認事項でもある。

「行政から必要とされる存在」を目指す

梅林は「地元」により密接にかかわっていくことをミッションとしている。梅屋敷と大森町の商店会に参画していて、これまで月に一度のペースでイベントに出店している。このような実績によって、今夏多摩川花火大会に出店することができた。近隣の商店会とも連携して食べ歩きの地図も作成した。このように「地元」のことを真剣に考える会社になっている。

 

さて、吉鶴氏は現在居酒屋甲子園の理事としても活躍中である。この活動に参画したのは4年前で、それ以来居酒屋甲子園のメンバーとの交流を深めて多くの学びを得ている。

「居酒屋甲子園のモットーは『共に学び、共に成長し、共に勝つ』です。居酒屋甲子園と出合うまでは、飲食店は皆ライバルだと思っていました。居酒屋甲子園の先輩たちにこちらから質問をすると、本気の気持ちがこもったアドバイスをいただく。『共に』というエネルギーが満ちている」(吉鶴氏)

 

10年後には「大田区で1位になりたい」という。それは「行政に必要とされる存在となること」だ。それに向かって、日々「地元にないものをつくる」という信条を徹底している。これからは大田区内で店舗展開し、7年後に「10億円企業」となることを目指している。

 

梅林は平均年齢21歳で一軒の飲食店がスタートしてから丸10年が経過した。これまで吉鶴氏が述べてくれたことから、梅林がこれまで培ってきた「地元」「地域密着主義」を大切に育てていこうという姿勢が強く感じられた。(千葉哲幸)