2025/06/06
“3.11”を通じて知った日本人の思いやりー特定技能人材×店長 ドゥックさんにインタビュー!

「あの出来事がなければ、今の自分はなかったかもしれません」
2011年に起こった東日本大震災。混乱の中でも冷静に行動し、思いやりを持って助け合う日本人の姿が、ドゥックさんの心に強く残りました。それが、日本という国に興味を持つきっかけになったとか。
そして10年以上の時を経た今、彼は日本の飲食店で店長として働き、仲間を育て、日々の営業を支えています。
そんな彼の歩みには、「働きながら学び、成長する」特定技能人材の可能性が詰まっていました。
日本を選んだきっかけは、何だったんですか?
2011年3月11日の東日本大震災が大きなきっかけでした。あの出来事が起きたのは、僕が中学2年生のときです。ベトナムでも日本の様子がニュースで取り上げられ、津波の映像や街の凄惨な様子を見て心底衝撃を受けました。
でも、それ以上に驚いたのは、そんな大変な状況の中でも日本人が冷静に行動している姿でした。食料や水が足りない状況でも、みんながきちんと列に並んで順番を守っているのを見て、「どうしてこんなに落ち着いていられるんだろう?」って。普通ならパニックになったり、奪い合いになったりすると思うんです。「もっとこの国のことを知りたい」と思うようになって、自分で日本について調べるようになりました。実際に海外で働くことも視野に入れており、行くなら絶対に日本だ!と決めていました。
震災を通して、日本のどんなところに惹かれたんでしょうか?
人の思いやりや、秩序を大事にする文化ですね。助け合おうとする姿勢や、誰かのために自分ができることをしようとする考え方です。それって、自然にできることじゃないと思うんです。
実際に、震災を通して日本人の国民性は海外から高い評価を受けていたと思います。僕もそのひとりであり、僕と同じように日本に関心を持つ人が世界にたくさんいるのではないでしょうか。
また、日本を調べていくうちに、礼儀正しさや勤勉さ、繊細さなど、さまざまな面で「自分もこうなりたい」と思える部分がたくさん見えてきて。そこから、「日本に行ってみたい」「この国で生活してみたい」という気持ちが強くなりました。
2018年から現在までの7年間のキャリアを教えてください!
まず日本に来てから2年間は、日本語学校に通いました。生活していけるだけの日本語力を身につけた後、外国語の通訳に特化した専門学校へ進学、日本語・英語・ベトナム語の3か国語を操れるようになりました。その後は現在とは違う他社の飲食店に正社員として1年間勤務し、現在の仕事に至ります。日本に来てから4年間は学生だったので、正社員として社会で働いた経歴はまだ3年ほどなんです。現在は店長を任せていただいていて、在庫管理や発注、人件費の見直し、人材育成など多岐にわたる範囲の仕事を任せていただいています。
お仕事でやりがいを感じるのはどんな時ですか?
やはりお客様の笑顔を見た時ですね。これは学生時代のアルバイトの頃からからずっと変わっていません。「美味しい」「ありがとう」「また来たい」というお客様の声が、僕のやる気の源になっています。
日本語がとてもお上手ですが、会話力はどうやって身につけましたか?
日本語でのコミュニケーションが多い環境に身を置いていたからだと思います。学生時代は常に友達と話すことができましたし、アルバイトでも接客を通して日本語を頻繁に話していたため、現在の自分の日本語力はここで培われたのだと思います。
ドゥックさんの将来の夢はありますか?
そうですね…いずれはベトナムに戻って、自分の会社をつくりたいです。まだ具体的な業態までは決めていませんが、飲食は必ずやりたいです!店長として学んだ「人を育てること」や「数字を見ながら店を経営すること」を、将来に活かしていきたいです。


日本に来たきっかけが震災のニュースだったというのが初耳で、とても驚きました。あの出来事を“怖い”や“大変そう”で終わらせるのではなく、「なんで日本人はこのような状況でもきちんと列に並ぶのだろう?」「どうして互いに助け合おうと思えるのか?」と興味を持ち、自分で日本について調べはじめ、ついには日本に渡ることを決意する。その姿勢に、ただただ心を打たれました。日本で起きていることに関心を持ってくださることに、日本人としてありがとうという気持ちが芽生えました。現在は新たに入社した人材を育成中だそうで、ドゥックさんの持ち前の笑顔でスタッフもお客様も和ませている様子が伺えました!これからもぜひ品川店を盛り上げていってほしいと思います!