「のれん分け」によって日本各地で経営するオーナーを育成

有限会社STPDファーストゲート(本社/東京都千代田区、代表/金井秀樹氏)は、ハンバーグ専門店「ハンバーグウィル」やにんにく料理専門店の「はじめの一っぽ」など、都内に6店舗を展開している。

飲食業界に携わるようになり約30年となる同社社長金井秀樹氏は、「路地裏小さな飲食店研究所」をコンセプトに運営している。この「路地裏小さな飲食店」というのは、新規開業で出店する多くの人にとって、あてはまりやすい要素である。そのため、独立を志す人が独立前の最後に学ぶ場所として多く集うそうだ。そんな金井氏に、飲食業界で独立するまでの経緯やのれんわけ等を含めた今後の店舗展開の方法等について伺った。

実家のお好み焼き店で学生時代から飲食店経営に触れる

――飲食業界に携わることとなったきっかけはどのようなことですか。

実家が東京都江戸川区の下町で母親がお好み焼き屋を経営していて、幼い頃からそこで手伝いをしてきて、飲食業界は自分にとって近しい存在でした。学生時代には他の飲食店でアルバイトを行い、実家の店では病弱だった母に代わって、店長代行のようなことも行いました。黒板にメニューを書いたり、アルバイト先で教えてもらったレシピを試してみたりと、今思えば母のお好み焼き屋を研究ツールとして利用していたような感じです。そんな環境で育ったことから、飲食業界が自分の天職だと感じておりました。そして、当時は和食のお店を出したいと考えていて、都内のお店で修業をしました。

 

――独立したきっかけはどのようなことですか。

母親がお好み焼き屋を閉店することとなり、母親から「知り合いでそこで飲食店を経営したい人はいないか」と聞かれたことからです。私は独立を志して貯金をしていたことから、24歳の時にそこで独立をしました。お好み焼き屋ではあったのですが、母の時とは屋号もメニューも変え、新しいお店として出店しました。母親には、毎月の賃料の他に、造作物譲渡料や保証金なども支払いました。そして、多店舗展開したい思いがあって、4年後の28歳の時に有限会社STPDファーストゲートを設立しました。それ以来、30年間飲食業界一筋です。

代表取締役社長の金井秀樹氏

 

30年間の経験から「路地裏小さな飲食店研究所」へ 

――これまでの間にどのようなことを経験してきたのでしょうか。

これまでさまざまな業態、単価、立地の店舗を運営してきました。そのたびに必要なこと必要でないことの取捨選択を行い、その精度を上げていきました。そのようなノウハウもあったことから、これまで料理人をしてきた人が、独立前に経営を学ぶ最後の修業の場として、当社で働くことが多くなりました。そんな中で、注目したのは「路地裏小さな飲食店」というコンセプトです。新規開業の場合、居抜き物件等で家賃と折り合いをつけて、「ここならいける!」と出店する方がほとんどです。すると、必然的に一等立地ではなくて路地裏で、大箱ではなく小さな店舗になるのです。この「路地裏小さな飲食店」を研究することで、その新規開業を成功させるためのヒントが見えてくると思います。

 

――自分の店舗運営の中でも「路地裏小さな飲食店」は大きなコンセプトになっているのですか。

基本的に「路地裏小さな飲食店」でしか出店していません。以前、大きな商業施設から出店のオファーがあり、とても嬉しいことでしたが、そこに出店して繁盛したとしても、お客さまは「ハンバーグウィル」を食べにきてくれたのか、ただそこにあったから来てくれているのか分かりません。そこで、出店はしませんでした。

もちろん利便性のある店も必要なのですが、私は元々「ここでいっか」という感覚でお客さまがやって来る店はやりたくない。とりあえず注文して、話に夢中になって、雰囲気も楽しまずに食べる、というようなものではなくて、「ここに行きたい!」と思って来店していただけるような店をつくりたい。そういうことで、路地裏にあっても来店してもらえる飲食店になれるのです。

「ハンバーグウィル」で大人気のハンバーグはお客さまの目の前で焼く

 

――修業して独立していく人はどのような業種が多いのでしょうか。

私がこれまでお好み焼き、和食、イタリアン、ワインバー、カフェ、ニンニク料理、ハンバーグという具合にいろんな業態に挑戦してきたように、独立した人もさまざまです。私がお好み焼き屋を止めた後に、お好み焼きでの独立を希望している人がいて、私が個人的にそのノウハウを教えるということもありました。

今社員は25人でそのうちの半分以上は独立を希望しています。

私は採用する際の面接の時に独立に対する考えを聞きます。また、勤務中にも少しずつその人の夢について聞き出します。それは、彼らに自分の夢を人の前で語れるようにしていきたいからです。

社員として採用して働いてもらうだけであれば、彼らを利用しているだけではないか。私は社員に還元しなければならない、だからこそ、私はこうしたいからこうしてほしい、その代わりやりたいことの夢があるのであれば私は協力を惜しまない。こんな感じで、私も社員もお互いWin-Winで夢を語り合う関係を目指しています。

それぞれやりたい業種を漠然とイメージしているようですが、当社の業態がととのってきていることから、「ハンバーグウィル」や「はじめの一っぽ」ののれんわけを希望してきている人が多いです。

店に赴く時には、ホームルームの感覚で社員と夢について語り合う

 

「のれん分け」によって全国での展開を図る

――社員独立の中で、「のれん分け」の道もあるのですか。

現在直営の中野と錦糸町の2店舗を社員に売却する予定です。今後はこんな形でのれん分けを盛んにしていきたい。というのも、直営店を出店する場合は、上層部がマニュアル等を作成し、管理することになります。私はその「管理する」ということが苦手で、店を運営する人にその人のパーソナリティで運営してもらいたい。

しかしながら、この場合多店舗展開をすることが難しく、そこにジレンマを感じていました。では、どうすれば店舗展開を行いつつ、管理しない体制を整えることができるかと考えた結果、「のれん分け」という方法に至りました。

 

――「のれん分け」でどのような展望を描いていますか。

現在「ハンバーグウィル」でののれん分けを希望している人が数名いるのですが、地元が福岡や大阪などの人もいます。それぞれの地域の個性を反映した、その場所にあわせた「ハンバーグウィル」を営業してほしい。そうすることで、本店のコピーではなく、オリジナリティのある唯一無二の店になります。本店が築いたノウハウをベースにして、独立した人の夢や方向性を実現できるものが「のれん分け」だと思います。こうして全国に「ハンバーグウィル」があったところで、この店のハンバーグのファンの人には「この店に行きたい!」と思って来ていただけることでしょう。

 

――今後の店舗展開の予定を教えてください。

店舗数の目標等は立てていません。店をやりたい人ないし店を必要としてくれる人がいれば展開していきたい。直営店はパイロットショップのような存在として運営していくつもりです。業態は2業態ほど増やしていきたい。

今の夢は日本各地に当社のれん分けの店があることです。そして年1回オーナー会を開催し、皆が一堂に会して情報交換ができる機会を設けたい。

店長会などとは違って、それぞれがオーナーであり、同志でもあります。上手くいっているオーナーもいれば、いまいち調子があがらないオーナーもいるでしょう。情報交換は本気になります。

例えていえば、私がおじいさんで、オーナーたちはそれぞれのお店を持っているお父さんのような感覚でしょう。このオーナー会の一部始終を私が「おじいさん」の立場で携わることは、きっと至福のひと時だと思います。